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寿のひと、ひと、ひと

シリーズ「ひと」

 寿支援者交流会の通信「この間の報告とこれから」に載っていたシリーズ「ひと」を紹介します。ここに紹介をすることに理解を示してくださったインタビュアーのKさんに感謝の意を表します。また、ここに紹介する方は直接お会いして掲載の許可をとってあります。残念なことにお亡くなりになった方もいます。その方については、あの世まで行って許可をとることも出来ないので・・・。たぶん、お許しいただけると考え、載せる予定でいます。
 なお、年齢はインタビュー当時のものです。 
 また、オリジンさんのご努力で『ひと総集編』が発行されました。『ひと総集編』には私が連絡を取れずここに紹介できなかったインタビューも全て載っています。とても内容の濃い素晴らしい本です。ぜひ、ご購入されて読まれることをお勧めします。オリジンさんへメールでご連絡ください。

18号 1999年12月 矢島 雅子さん(医療班) 「自分を見つめなおしたい」
19号 1995年 2月 鹿児島 正明さん(寿日雇労働者組合) 「一緒に生きていきたい」
寿の生き字引「極楽とんぼ」さんの半生が語られています。後半部分は寿の町の歴史と大きく関わっています。
20号 1995年 4月 正札 玲子さん(寿支援者交流会) 「寿町は思いやりを感じられる場所」
21号 1995年 6月 村田 由夫さん(寿福祉センター) 「良くしようとすることは人を支配しようとすること」
寿福祉センターの村田さんへのインタビューです。アルコール依存症の人との関わりなどについて語られています。「資料編」にも、村田さんの話された内容(アルコール依存症を考える出会ったおじいちゃん、おばあちゃんたち)がありますので、そちらもお読みいただけると、ありがたいです。
22号 1995年 8月 藤原 行雄さん(寿日雇労働者組合) 「野宿した3日間、こわかったです。兄弟のことばかり考えていました。間違っても自分みたいになるなよって」
「野宿」を経験した人が「野宿」のしんどさを本当に分かるのだと思いました。
23号 1995年10月 今泉 恵さん(カラバオの会) 「外国人と関わることで、この人たちはモノの考え方、文化が違うんだな、ということを日本人に理解してもらえれば」
24号 1995年12月 故・鈴木 正見さん(寿日雇労働者組合) 「寿あってたんだかなんだか知らないけどいついちゃった」
「メシたきって面白いよ」という言葉が印象的でした。なお、鈴木さんは1996年3月15日にお亡くなりになりました。御冥福をお祈りします。
25号 1996年 2月 関本 理恵子さん(川崎水曜パトロールの会) 「もっともっとおっちゃんたちと知り合いたい」
26号 1996年 4月 上西 知子さん(川崎水曜パトロールの会) 「気持ちを伝えることは生きていく勇気」
27号 1996年 6月 H.Tさん(アルクデイケアセンター) 「人を救うことはできません。でも道案内はできます」
一つひとつの言葉に深い意味が込められている感じがします。「自分が生きるのは自分のため」その通りだと思いました。インタビュアーのKさんの言葉もすごいです。 
28号 1996年 8月 故・伊藤 紀明さん(シャロームの家) 「寿のいいところはあったかいところ」
いろいろな所に住んで、たどり着いたところが「寿」。「寿」はいいところですね。伊藤さんは、故人とのことです。ご冥福をお祈りします。
29号 1996年10月 秋場 茂さん(寿自治会) 「寿町と他の地区がどう違うのか。同じだと思います」
1972年から自治会長として寿のことのに様々な関わりを持ってこられた秋場さんのお話です。寿の歴史が分かります。
30号 1996年12月 杉本 貴美子さん(寿共同保育) 「流されるの、嫌じゃない?」
32号 1997年 6月 菊田 行佳さん(藤沢パトロール<仮>)  「好きなように生きたい」
34号 1997年 8月 成 且善さん(識字教室)前編 「がっこういきたくてなきました」
寿識字学校の生徒さんです。結婚するまでのことが語られています。成さんの文章がとっても美しく、きらきら輝いています。
35号 1997年12月       同        後編 「人間のあったかさを伝えたい」
インタビューの後半部分が圧巻です。「悲しいことがあって嬉しいことがかわる」「笑いと涙は兄弟」等々、私の心に残る言葉がたくさんありました。寿識字学校での文章から、文字が書けない哀しさ、また文字を獲得した喜びがとても感じられました。
36号 1998年 4月 平山 正浩さん(寿日雇労働者組合)前編  「ずっと働きっぱなしや」
現在、寿日労の組合員の平山さんの陽気なおしゃべりが印象的です。ただ、内容はかなり重たいですが。前編では、寿に来るまでのことが語られています。
37号 1998年 7月           同           後編 「40後半からだよ、面白くなったのは」
「今が一番いい」と言える平山さんをうらやましく思います。パトロールに対する意気込みがすごいです。
38号 1998年10月 李 明徳さん(識字教室)前編 「弟はそこで息をひきとりました」
39号 1998年12月       同        中編 「アボジ、アボジと泣き叫んでいました」
40号 1999年 5月       同        後編 「識字に来て本当によかったよ」
43号 1999年12月 大沢 敏郎さん(識字教室)前編 「寿で死んでいいんだと」
寿識字学校を主催している大沢さんへのインタビューです。「おかさん」の4文字、とても衝撃的です。
45号 2000年 7月        同        中編 「信頼しなかったら識字なんかやれない」
大沢さんのインタビューの続きです。「識字をやって、人を信頼できるようになった」等、大沢さんの識字に対する深い考えが語られています。
47号 2000年12月        同        後編  「寿にたどりつくのに34年かかりました」
大沢さんのインタビューの最終回です。シリーズ「ひと」は今回で最後になりました。


新シリーズ「路上インタビュー」

 寿支援者交流会の通信「この間の報告とこれから」に新シリーズが始まりました。順次、紹介したいと思います。

1999年7月4日開催 米さんと平山さんと語るひととき  
「路上以外の社会を変えないと何も変わらない」というオリジンさんの言葉。彼の実感なのですね。
47号(2000年12月) 木羽 利夫(71)さん前編 「こりゃいいって。その晩からそこに寝たの。」
木羽さんの生い立ちから路上生活に至るまでのことが淡々と語られています。横浜駅の川の側にあるおでんやさん、 私もよく行きました。
48号(2001年3月) 木羽 利夫(71さん)=後編=
生活保護より路上を選ぶ木羽さん。「自由があるじゃん。ここの方が」。 
49号(2001年7月) A・Y(36)さん(藤沢の野宿の仲間) 「できれば一度でいいから結婚もしたいな」
今までごく普通に勤めていた人が路上生活をするようになってしまいます。パトロールととの出会いがA・Yさんの人生を変えました。  
50号(2001年10月) E・Tさん(57)=前編= 「仕事辞めるって言うと、みんな手のひらを返すからね」
Eさんの半生が淡々と語られています。  




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